DIP.09 ポジティブでもネガティブでもないゼロティブこそが自由

よく「コップに半分の水」に例えられる。

コップに半分水が入ってる状態を見て

まだ半分もある
ポジティブに捉える人

もう半分しかない
ネガティブに捉える人

どちらがいいかと言われれば
圧倒的に「まだ半分もある」の方がマシ

しかし
「まだ半分もある」というのは
ポジティブで精神的に健康な反面

究極には「現状維持型」で、
そこから変化、成長、進化が見込めない

という批判もある。

ただしそんな批判はクソだ。

何故か

変化も、成長も、進化も、
本人がそれを望んでこそのことだ

本人が望まないことに対して
周りががちゃがちゃ言うのは

社会の風潮や常識とやらにあわせて
本人のため、という得意の言い訳をして

人に自分と同じ様な価値観を押し付ける

「こうすべき人間」
「こうすべき、べき、べきべきべき」

と洗脳され続けた人たちが発する言葉

本人がそれで現状満足しているなら
何ら一ミリも問題ない

周りがどうこう言う問題では全くない

どうこう言いたい気持ちは、
その人自身に問題があるというだけ。

というところまでは
社会不適合者たちなら
よくわかるかもしれない。

でも、本当の自由は、

「まだ半分もある」といった
ポジティブ思考の中には無い。

ゼロティブ

ポジティブでもネガティブでもない
フラットな状態

つまり

ありのままその状態を捉えることだ

コップに半分の水がある。

それをそのままありのまま捉えること

それは、決して

「コップに半分の水」を
ただ単純にカメラで写した一時写真
の様なものではない。

そういう無機質単純なものではない。

「ありのまま」とはどういうことか。

それは、コップに半分の水を見た人が
持つ視点、抱く感情などを
全て受け入れている状態だ。

ポジティブ視点もネガティブ視点も

10人いれば10人とも捉え方は違う

その捉え方を全て受け入れること

全てを均等に受け入れる。

そうすることで、どうなるか?

自分自身の
感情のコントロールができるようになる

ネガティブな視点になろうと思えば
いつでもどこでもなれるし、

ポジティブになろうと思えば
いつだってなれる。

ネガティブとかポジティブだけじゃない、
どんな視点や感情にも自由に移動できる

全ての視点や感情を理解しているから。

それこそが自由

感情の自由なコントロール

究極の「選択の自由」のカタチ。

ではどうすればゼロティブになれるのか

それは、あらゆる偏見を捨てること

正しいとか間違ってるとか

好きとか嫌いとか

常識とか非常識とか

そんなことはどうだっていい

ただ、人が見る視点、感情を
ただそういうものだと理解すること

批判はしない
尊敬もしない

批判も尊敬も元は同じ、依存の世界。

ただ受け入れる
興味を持って受け入れる。

それがゼロティブ

究極の進化の形。

神というものが存在するなら

完全なゼロティブこそが神。

しかし僕たち社会不適合者であっても
決して神にはなれない。

それだけは事実。

だけど、神に近づくことこそ、

自分自身を自分のために高めることこそ

人生であって、自由なのだから

求めるべき方向性を見失ってはいけない

僕たちが求めるのは

自由であって、それは

ポジティブでもネガティブでもない

ただ、全てをありのまま捉えることができるゼロティブ思考なんだ。

正しいとか間違ってるとか
常識とかポジとかネガとか云々かんぬん

どうでもいい

全てをフラットに受け入れよう

そうすれば自分の感情をコントロールできる

人に流される様な他人軸の感情を排除できる

排除できなくても、そこから瞬時に脱出できる

依存も抜け出せるし、

もっと自由になれる。

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