僕たちの自由を縛り付ける依存心は、
親が僕たちに無意識に与えたものが実はほとんどだ。
依存から脱却するには、
そこをいつかほじくり返すときが必ず、来る。
一般的に「いいお父さん、いいお母さん」ほど注意が必要なんだ。
親は、子供に依存する。
必ず依存する。自然の摂理とも言えるくらい。
自分の幸せを、子供の幸せに映し込む。同化させる。
それ自体は何も悪くない
が、
「子供の為を思って」
そう、本人は子供のためと信じて疑わずに、
僕たちに価値観を叩きこむ。
社会のルールもそう。
生き方の価値観もそう。
でも、僕たちは価値観もルールも、
全て自己責任で、そして自分の選択で決めたいと本当は思ってる。
子供が幼いうちに、自分たちがコントロールできるうちに、
親は知らず知らずに子供時代の僕たちの選択の自由を奪う。
そして、
僕たちも気付かないうちに、
「本当にしたいことを自分で選択する」という考えが失われる。
お母さんに喜ばれるよう、
お父さんに褒めてもらえるよう、
そういう他人軸の考え方が染み付く。
自分軸が失われる。
本当は自分はこれがしたいのに。
でも、親が悲しむから、周りが心配するから、
しない。
その繰り返し、繰り返し、繰り返し。
本当は自分はこう思うのに、
社会的には自分の考えが支持されにくいから、
しない。
その繰り返し。繰り返し。繰り返し。
自分の本当の気持ち、自分の本当になりたい自分を見失う
それに気がついても、選択は常に他人軸。
そうなる理由は、
子供時代、親が僕たちの自由な考え、発想を、
社会的な価値観、自分たちの価値観で
おさえこむ訓練をしてきたから。
そして僕たちは自分自身で自由は意志を抑えこむクセを身につけてしまった。
無意識に。
親は子供のためのを思って、と信じて疑わず。
それに気がつかないと、
今度は自分が人に同じ過ちを犯す。
子供に依存する。
子供の反抗期を抑えこむ。
一番大切なことは、
自分の愛すべき大切な子供だからこそ、
自分と子供とは別人格なんだ
と自覚すること。
子供の考えが、たとえ一時的に反社会的なものであったとしても
認めてあげなければならない。
それを正すのが愛じゃない。
愛するなら、認めて、見守ること。
それ以上のことは親は何もできないと認識すること。
その結果、どういうことがあっても
それはその子自身が対処すること。
自分自身の本音で下した選択は、
誰も後悔しない。
子供がどんな行動をしたとしても、
それが、完全なる自分の意志で、自分のためを思ってしたことなら
誰が何を言おうと、その子にとって幸せなことだ。
僕たち社会不適合者は、
実はこの親の依存の呪縛が弱く恵まれてるんだ。
常識とか、あたりまえとか、
そういう価値観を刷り込まれて来なかったからこそ、
今、社会不適合者なんだ。
でも、
自分で自分を縛り付ける、自由を奪う依存心は
僕たちにも必ずどこかに存在する。
自由になりたい、と願う気持ちがあるというのが
その証拠だ。
本当に自由なら、そうは思わない。自由を願わない。
もし自由を得ようとするなら、
その縛り付ける依存の原因を辿る必要がある。
親を憎む必要は全くない
親との依存関係がもしまだ断ち切られていないなら、
自分のため、
そして、
親のために
距離をきっちり置くんだ
距離をおくと、おそらく親は悲しむ
でも、子どもと別人格なんだ、と親がちゃんと認識・理解できることが、
親にとっても依存の呪縛から開放される唯一の方法
親を想うからこそ、
親ときっちり距離を置く。
たとえ、悲しませることになったとしても。
胸が傷んだとしても。
心の中で両親を愛せるのなら、
何も問題はない。
本当の幸せ、自由はそれを乗り越えた先にある。