辛くて落ち込んだときに
優しい言葉をかけてくるヤツには十分気をつけた方がいい
別に、人の優しさを否定する気持ちは全くない
本当の優しさは素晴らしいものだ。
ただ、
ネガティブになったときに心配してくるヤツ
そいつは、人のネガティブを自分のネガティブに同調させて
自分を安心させてるんだよ。不安定な自分をね。
もちろん、そいつはそんなこと気づいてないだろうけど。
そんな人は、こっちがポジティブ全開のときは
興味を示さないよ、だいたい。
違う?
相手が落ち込んだときに心配してあげて
助けてあげることに生きがいに近い喜びを感じてるんだ。
だから、落ち込まない相手に対しては興味を持たないし、
むしろ自分と違う存在として軽蔑に近い感情を抱く
だから、そんな人が近くにいると、
辛い時に楽な反面、そのネガティブに引っ張られる。
落ちて、助けてもらって、
でも、落ちるとまた助けてもらえるから、
無意識にまた落ちる。無限ループだ。
ネガティブになりたいくないと思いながら、
そいつがいることで、落ちることがクセになるんだ
危ないクスリみたいなもんだね
そんなクソみたいな関係の中にある優しさを優しさって呼ぶなら
自分らしく自由に生きることなんてとうていできないよ。
ぐるぐるぐるぐる上がったり落ちたり上がったり落ちたり。
本当に僕たちが望むべき優しさって
僕たちが最高にポジティブなときに
一緒に喜んでくれる人だ
そして落ち込んだときに、
それを自分が解決できるなんて思わない人だ。
辛い時に、ただ黙って聞いてくれる
ただ黙って、僕たちが自分で解決できるのを待ってくれる。
心配なんて感情は、相手を思いやってるんじゃなくて
結局自分の心配を相手の悩みと同調させてるだけ。
それが気持ちいいなら構わない
それが、世間で言う優しさってやつなら
僕たち社会不適合者はそんな優しさは要らない
自分のことは自分自身で解決するし、
ネガティブに引っ張られるような人間関係を築かない。
そして、僕たち社会不適合者は、
逆に落ち込んだ相手を心配なんかしない
人は人だ、自分は自分だ。
解決できるまで待つ
相手が何か言いたいなら聞く
何か意見を聞かれても、
自分の意見や行為で相手が変わるなんてくだらないこと考えない。
そして、相手がポジティブになったときに一緒に喜んであげるんだ
それが社会不適合者流の優しさ。
とにかく、
ネガティブを食い物にしてるような依存体質のヤツとは
距離をおこう。