空気を読め - KY -
なんて日本人的な言葉だろう。
場に合わせなさいって意味が強いよね。
そもそも空気を読めって強く訴える人って、
KYを強く嫌がる人って、
自分と異なる価値観や考えを受け入れるキャパシティーがないんだ。
その場の空気の変化を嫌がる人。
自分が心地よい空間に依存して、
それが変化することを恐れる人。
それが乱されることを強く恐れる人。
その心地良い空間の中に自分の居場所を求めて、
場に合わせすぎて、そいつが空気になってるよ。
人とぼんやり繋がっていることで安心感を感じる
そう、依存だ。
自分の欠如。
人それぞれ考え方も価値観も違う。
言いたいこと、本音もバラバラだ。
言いたいことははっきり言う。
そして相手が言いたいことは受け止める
それに賛成できなくてもね。
いちいち空気を読んでたらそんなことできないよね。
僕たち社会不適合者は、誰にどう思われようが関係ない。
自分の思ってること、自分の世界を、
自由に表現し続けるんだ。
だから、空気を読めなんて、
キャパの狭いちっちゃい風潮なんか気にしない。
空気は読んだ上で、
あえてその空気をぶち破る。
自分がこうだと思うなら、場の空気がどうであろうと、
はっきり自己表現する。
もちろん、相手が何を言い返そうが、
それはそれで受け止める。
空気を読むことを意識しすぎて、
自分をその場に溶かしこんで
カスカスの空気になんかならないし、
どんな場所であろうと
どれだけ価値観が違おうと、
自分の想いをきっちり表現する。
空気を乱されることを恐れるような
小さいキャパシティーを持たないのが
僕たち社会不適合者の強みだね。