モノゴトを、

“正しいこと”と”間違ったこと”

に分けて考えることほど、馬鹿げたことはない。

“世間の常識=正しいこと” って

信じる気持ち
信じたい気持ち・・・

そう信じれば、何も考えなくていいから。楽だから。

でも、常識なんて国によって違う。
時代が変われば全く違う。

今の日本の常識なんて、人類が誕生してからほんの極々一瞬のカタチ

それが一番正しいこと、成熟したものだって断定できるほど
そこまでみんな考えてなんかいないよね。

ただただ思考停止。

ヒトに迷惑がかけないこと、とか、

それこそ人によってその基準がバラバラなものを一つにまとめようとしてる。

世の中、どんなことにだって意味はある。

その意味を考えず、視点を変えることすら放棄して、

常識とかいう”あやふやなもの”に流されて、依存して、

正しいこと、間違ったこと、のラベルを一瞬で貼りつけて。

でも、

僕たち社会不適合者は、そんな常識に振り回されない

自分が思うこと、感じることを、

ありのまま受け止める

常識がどうであろうと、

誰が間違ってると言おうと。

- 自分は今どう思うのか、

- 自分は今何をしたいのか、

- 自分は今誰といたいのか。

正しいとか間違いとか本当にどうでもいいよね。

この世の中には

最高の瞬間も、ありえない苦しみも、
出逢いも、つらい別れも、

腹を抱えて笑うことも、泣き続けてボロボロになることも、
楽しくて没頭することも、飽きて投げ捨てることも、

何度も何度も悩んでも、いつもいつも繰り返される。

だから、僕たちはこんな矛盾だらけの世の中に”拠り所”を求めるんだ。

何かにしがみついて、

それを生きがいだとか、正しいことだと信じて

仕事、家族、恋人、社会のルール、
そういうモノ・ヒト・社会に拠り所を求めて

しがみつく

だって、矛盾だらけの世の中で、

何が本当に正しいのかわからないなら
何かにしがみついていた方が楽だからね。

そう、それが依存心。

依存の心は、
自分が助かりたい、楽でありたいと願う気持ちから生まれる。

それは悪いものとは言えないかもしれない。

でもそれが長く続くと、その依存の対象から抜け出せなくなる。

ずっとずっと、抜け出せなくなる。

自分が本当にやりたいこと、なりたい自分が頭をよぎっても、

一度依存したものが、それを拒絶する。

その依存心が、無意識に自分の自由を奪う。

本当に今なりたいと思う自分の気持ちを、全力で引き留める。

だから、何か拠り所を見つけたとしても、そこに長居してはいけない。

長くそれに頼ってはいけない。

次の自分のステージにいつでも自由に向かえるように

依存心とはいつでも決別できる付き合いをしなければいけない。

それは自分のため。

自分自身の”自由”のため。

そして、本当の心の拠り所は自分自身の中に求めること、

それが依存から抜け出す唯一の方法。

頼るべきは自分自身。心の拠り所は自分の中にしかないんだ。